第77回正倉院展

主な出展宝物(おもなしゅっちんほうもつ)


 正倉院展は、太平洋戦争が終わった翌年の昭和21年(1946年)に初めて奈良で開かれ、33件の宝物(ほうもつ)出展(しゅってん)されました。校倉造(あぜくらづく)りで知られる正倉院正倉(しょうそういんしょうそう)で約1200年もの間、守り伝えられてきた宝物のきらめきが、敗戦でうちひしがれた人々を勇気づけたといわれています。以来、古都・奈良の秋を彩る恒例(こうれい)行事となり、国内外の多くのファンを魅了(みりょう)してきました。


 大阪・関西万博が開かれた今年、正倉院展にはよりすぐりの宝物が並びます。奈良時代、聖武(しょうむ)天皇(てんのう)の身近にあったすごろく(ばん)木画(もくが)紫檀(したんの)双六(すごろく)(きょく)」や、鳥の羽で(かざ)られた「鳥毛(とりげ)篆書(てんしょの)屏風(びょうぶ)」などからは、当時の宮廷(きゅうてい)の様子がうかがえます。また、西アジアで作られたと考えられるガラスの器「瑠璃(るりの)(つき)」や、世界各地の宝石や貝殻(かいがら)をちりばめた鏡「(へい)螺鈿(らでん)(はいの)円鏡(えんきょう)」などは、シルクロードなどを経て、海を越えて運ばれてきた正倉院宝物の国際性をよく表しています。


 さらに、歴史上のできごとや人物にまつわる品々も公開されます。奈良・東大寺の大仏の完成を祝う法要で使われた「天平(てんぴょう)宝物(ほうもつ)(ふで)」や、かぐわしい香りで織田信長ら時の権力者を引きつけた香木(こうぼく)黄熟香(おうじゅくこう)」など、いにしえのエピソードに思いをはせながら鑑賞(かんしょう)することができるでしょう。


 このサイトでは、今回出展される67件の宝物の中から10件を紹介します。


  • ☆宝物の写真をクリックすると解説と写真が表示されます。
  • 牙笏

    牙笏(げしゃく)

  • 木画紫檀双六局

    木画(もくが)紫檀(したんの)双六(すごろく)(きょく)

  • 平螺鈿背円鏡

    (へい)螺鈿(らでん)(はいの)円鏡(えんきょう)

  • 鳥毛篆書屏風

    鳥毛(とりげ)篆書(てんしょの)屏風(びょうぶ)

  • 花氈

    花氈(かせん)

  • 天平宝物筆

    天平(てんぴょう)宝物(ほうもつ)(ふで)

  • 瑠璃坏

    瑠璃(るりの)(つき)

  • 黄熟香

    黄熟香(おうじゅくこう)

  • 黒柿蘇芳染金銀山水絵箱

    黒柿(くろがき)蘇芳すおう)(ぞめ)金銀(きんぎん)山水絵(さんすいえの)(はこ)

  • 桑木阮咸

    桑木(くわのきの)阮咸(げんかん)

正倉院には、聖武(しょうむ)天皇が大切にされた品々をはじめ、今から1250年以上も前の宝物が伝わっているよ。古いもので後の時代へ残していく必要があるから、展覧会の時以外は見ることができないんだって
牙笏

牙笏(げしゃく)(北倉)

(しゃく)」は天皇や役人が持つ細長い板で、中国から遣唐使(けんとうし)が日本に伝えたとされます。元々は、必要なことをメモして持っていたのが始まりで、後に正装して儀式(ぎしき)などに臨むときに威厳(いげん)を整えるために用いられるようになりました。この笏は貴重な象牙(ぞうげ)を切り出して仕上げられたもので、先端(せんたん)部分は丸く、下に行くに従って(はば)が広がっています。聖武(しょうむ)天皇(てんのう)の愛用品を光明(こうみょう)皇后(こうごう)が東大寺の大仏にささげた際の目録(もくろく)国家(こっか)珍宝(ちんぽう)(ちょう)」に書かれている宝物で、歴代天皇のそばにあったとされる収納具「赤漆文(せきしつぶん)欟木(かんぼくの)御厨子(おんずし)」に納められていました。正倉院に伝わる笏の中でも、格別の由緒(ゆいしょ)を物語る品です。


長さ38.9cm (はば)5.2~5.5cm 厚さ1.3cm

木画(もくが)紫檀(したんの)双六(すごろく)(きょく)(北倉)

 奈良時代の人々も双六(すごろく)を楽しんでいました。今のように、サイコロを振って、絵の中のふりだしから上がりへとコマを進めるのとは違って、(ばん)の上にコマを並べ、サイコロの目の数だけ相手の陣地(じんち)にコマを進めるというルールだったようです。この双六盤は「国家(こっか)珍宝(ちんぽう)(ちょう)」にも()っており、聖武(しょうむ)天皇(てんのう)のそばにあったと考えられています。木製の本体に舶来(はくらい)の高級木材・シタンの板を()り、そこに、ツゲ、コクタンといった木材、象牙(ぞうげ)、鹿の角、竹など様々な素材を細かく切ってはめ()む「木画(もくが)」という技法で、花やつる草、鳥などがいきいきと表現されています。繊細(せんさい)で美しい模様は、盤の上だけでなく側面や盤を支える(あし)にも広がっています。


縦54.3cm 横31.0cm 高さ16.7cm

平螺鈿背円鏡

(へい)螺鈿(らでん)(はいの)円鏡(えんきょう)(北倉)

 ガラスの鏡がなかった時代は、銅などの金属の板に自分の姿を映していました。この丸い鏡の背面は、南の海に生息するヤコウガイの貝殻(かいがら)を加工してはめ()む「螺鈿(らでん)」という技法で、白く(かがや)く花びらや葉、スズメが表されています。赤い花びらなどの部分には中国またはミャンマーで採れた琥珀(こはく)がはめ()まれ、文様(もんよう)のすき間は中央アジアなどで採れたトルコ石やラピスラズリの小さなかけらで()()くされています。鏡本体の材質を分析(ぶんせき)すると、(とう)の時代の中国で作られた鏡の材質とほぼ一致します。貴重な素材を各地から集め、中国の高度な技術で仕上げられたとみられるこの鏡は、正倉院と世界との壮大(そうだい)なつながりを感じさせます。


直径27.2cm 縁の厚さ0.8cm 重さ2473.6g

鳥毛(とりげ)篆書(てんしょの)屏風(びょうぶ)(北倉)

屏風(びょうぶ)」は部屋を仕切り、装飾(そうしょく)にも用いられる調度品です。6(せん)(枚)が1組のこの屏風は、「国家(こっか)珍宝(ちんぽう)(ちょう)」に()っている屏風のうちの一つ。1扇に8文字ずつの漢文(中国の文章)の格言(かくげん)が「篆書(てんしょ)」と「楷書(かいしょ)」という2種類の字体で交互(こうご)に記されています。今も印鑑(いんかん)によく使われる篆書の字体の部分には、日本にすむキジやヤマドリなどの羽が()り付けられていて、宝物の名前の由来になっています。文字の周囲には、草花や飛ぶ鳥が、型紙の上に色を吹き付けて白抜(しろぬ)きにする方法で表現され、屏風全体に(はな)やかさを加えています。書かれている格言は君主にとっての(いまし)めの内容となっています。聖武(しょうむ)天皇(てんのう)はこの屏風を見て何を思ったのでしょうか。


長さ149.0~149.3cm (はば)56.3~56.8cm

花氈

花氈(かせん)(北倉)

 正倉院には文様(もんよう)の美しい羊毛製の敷物(しきもの)が多く伝わっていて、それらはまとめて「花氈(かせん)」と呼ばれています。中でも色彩(しきさい)豊かで豪華(ごうか)な代表格が、今回展示される宝物です。多くの花を複雑に組み合わせた「唐花文(からはなもん)」という文様(もんよう)が、藍色(あいいろ)や緑、赤などに染められた羊毛で細かく表現されています。中央に大きな文様が2つあり、四隅(よすみ)も模様で()()くされています。裏側には(すみ)で「東大寺」と書かれ、「東大寺印」と読める朱色(しゅいろ)の印が押されていることから、法要で使われていたのでしょう。正倉院の花氈には、繊維(せんい)の中に日本にはない植物の種子が混じっているものもあり、中国で作られて伝わったのではないかと考えられています。


長さ272cm (はば)139cm

天平宝物筆

天平(てんぴょう)宝物(ほうもつ)(ふで)(中倉)

 奈良時代の天平(てんぴょう)勝宝(しょうほう)4年(752年)4月9日、東大寺で新しく造られた大仏「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」に(たましい)を迎え入れる法要「大仏(だいぶつ)開眼会(かいげんえ)」が盛大に行われました。大仏造立(ぞうりゅう)発願(ほつがん)した聖武(しょうむ)天皇(てんのう)光明(こうみょう)皇后(こうごう)をはじめ約1万人が参列したといわれ、インドから招いた僧侶(そうりょ)菩提(ぼだい)僊那(せんな)がこの筆を使って大仏の目に(すみ)を入れました。大仏の大きさに合わせて、筆の長さも50cmを()えるビッグサイズになっています。さらに、後の時代にもこの筆が使われています。(いくさ)で焼けた東大寺の建物や大仏が再建され、文治(ぶんじ)元年(1185年)8月28日にふたたび開眼法要が営まれた際、後白河(ごしらかわ)法皇(ほうおう)が大仏の目に墨を入れました。筆の管の部分に、そのいわれが墨ではっきりと記されています。


管の長さ56.6cm 管の直径4.3cm

瑠璃坏

瑠璃(るりの)(つき)(中倉)

 印象的な紺色(こんいろ)とつややかな(かがや)きが、多くの人をひきつけるガラスの器です。正倉院宝物を代表する品で、均整のとれた形は気品を感じさせます。外側には同じガラス材質の()っかの(かざ)り22個が、規則正しく()り付けられ、いにしえの優れた技術がうかがえます。西アジアで作られ、シルクロードを経て、はるばる東アジアにもたらされたと考えられています。器の下についているハスの花びらを模した銀製の金具は明治時代に補われたものですが、その後、元々ついていた、植物の葉を模した模様の金具が正倉院の中から見つかりました。また、器を支える台脚(だいきゃく)部分には(りゅう)のような文様(もんよう)があり、東アジアで付け加えられたとみられます。東西アジアの技が合わさって正倉院に納められた奇跡(きせき)を今回の展覧会で感じてみてください。


口径8.6cm 高さ11.2cm 重さ262.5g

黄熟香

黄熟香(おうじゅくこう)(中倉)

 日本では古くから、よい香りのする「香木(こうぼく)」を大切にしてきました。この宝物は仏前(ぶつぜん)を清めるため東大寺に伝わり、正倉院に納められたといわれ、「東」「大」「寺」の3文字が(かく)された「蘭奢待(らんじゃたい)」という別名でも知られます。何か所もの切り取った(あと)があり、足利義政や織田信長、明治天皇が切り取らせたことを示す紙片(しへん)もついています。東南アジア原産のジンチョウゲ科の樹木で、表面などに付いた樹脂(じゅし)が今も香りを放っています。正倉院宝物を管理する宮内庁正倉院事務所などが(くわ)しい調査をしたところ、8世紀後半から9世紀末(ごろ)までの間に伐採(ばっさい)されたか(たお)れたことがわかりました。また、香りにはハチミツやシナモンのような甘い香りなど、300種類以上の香りの成分が含まれていることもわかりました。


長さ156.0cm 重さ11.6kg

*香料メーカー・高砂(たかさご)香料(こうりょう)工業が正倉院事務所の協力で「黄熟香」の香りを再現しました。特別展「正倉院 THE SHOW –感じる。いま、ここにある奇跡(きせき)–」(8月24日までは大阪歴史博物館で、9月20日~11月9日は東京の上野の森美術館で開催(かいさい))で体感することができます。

黒柿(くろがき)蘇芳すおう)(ぞめ)金銀(きんぎん)山水絵(さんすいえの)(はこ)(中倉)

 仏にささげものをする際に用いた「献物(けんもつ)(ばこ)」で、箱そのものが美しい作品として仕上げられています。黒柿(くろがき)の材を「蘇芳(すおう)」という赤い染料で染めることで赤みのある落ち着いた茶色にし、高級な木材・シタンに似せています。箱のふたの表面には、金や銀の絵の具で四方(しほう)から中央に向かって山々が(えが)かれ、鳥が()い、雲がわき上がっています。これらは当時の最先端(さいせんたん)だった「山水画(さんすいが)」の技法が生かされていると考えられています。わき上がる雲は、鑑真(がんじん)和上(わじょう)が開いた奈良・唐招提寺(とうしょうだいじ)金堂(こんどう)の天井付近に(えが)かれたものに似ていることから、鑑真とともに中国から渡ってきた工人(こうじん)(職人)らが持ち()んだのでは、という説もあります。


縦18.0cm 横38.8cm 高さ12.5cm

桑木(くわのきの)阮咸(げんかん)(南倉)

 丸い(どう)を持つ姿は、アメリカで生まれたバンジョーという楽器にも似ています。張られた(げん)は4本。3世紀の中国にあった(しん)という国で、俗世(ぞくせ)()けて山野で静かに暮らした文人(ぶんじん)竹林(ちくりん)七賢(しちけん)」のうちの一人、阮咸(げんかん)が演奏の名手だったことにちなんだ名前です。絃をはじくばちが当たる「捍撥(かんばち)」という部分に()られた丸い(かわ)には、ひげをはやした3人の文人が(えが)かれていて、阮咸らの姿を思わせます。今は肉眼で確認できませんが、捍撥の上の2か所に()られた丸い革には太陽を表す三本(あし)の鳥、月を意味するウサギやヒキガエルなどが描かれています。胴の部分の背面には「東大寺」と記されていて、法要で使われたことがわかります。


長さ102.0cm 胴の直径38.2cm