正倉院ってなんだろう?

聖武天皇(しょうむてんのう)、光明皇后(こうみょうこうごう)プロフィール

聖武天皇(しょうむてんのう)『わたしは聖武天皇。妻は光明子(こうみょうし)。私が天皇であったころは、世の中が非常に不安定でした。そのため仏教を深く信仰(しんこう)し、奈良の大仏をつくり、国ごとに国分寺(こくぶんじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)を建てて、国と民(たみ)の平安を願いました。』
光明皇后(こうみょうこうごう)『わたしの父は藤原不比等(ふじわらのふひと)。天皇家の人間以外として初めて皇后になりました。わたしは夫の聖武天皇とともにあつく仏教を信仰し、悲田院(ひでんいん)や施薬院(せやくいん)をつくって、身寄りのないこどもや病人を救いました。』

正倉院なんでもQ&A

なぜ光明皇后は大仏に宝物をささげたの?
国宝 東大寺大仏

国宝 東大寺大仏

A

 聖武天皇の時代は、災害(さいがい)疫病(えきびょう)が相次ぎ、大きな争いごとも起きていました。天皇がみずから、仏教の力でみんなの不安をなくし、おだやかな日常を取り戻そうと東大寺に建てたのが大仏でした。完成を祝う儀式には、約1万人が参列(さんれつ)したそうです。


 その4年後、聖武天皇はなくなりました。光明皇后は、夫が大切にしていた宝物を見るたびに、生前(せいぜん)を思い出し、悲しんだそうです。そこで、夫の思いが込められた大仏に宝物をおそなえし、めい福を祈ったというわけです。


外国製の宝物はどうやって日本に来たのかしら? A

 とう新羅しらぎ渤海ぼっかいなどの国々から船で運ばれたと考えられています。とくに唐の都・長安ちょうあんには、東西を結ぶシルクロードを通じて世界各国の文物(ぶんぶつ)が集まっていました。そこに日本から、遣唐使けんとうしと呼ばれる留学生が訪れ、珍しいものを持ち帰りました。


 実は、近年の研究では、正倉院宝物の多くが、日本製ということもわかっています。もちろん外国から持ち帰った文物もありますが、デザインや技術などが日本に伝わり、それを学んだ日本の職人(しょくにん)が国内の材料を使って作ったものが少なくないようです。

シルクロードと8世紀の主な国と都市
正倉院の内部はどうなっているの?
唐櫃(からびつ)

唐櫃(からびつ)

A

 建物は正倉院正倉しょうそうと呼びます。ヒノキ製の高床式(たかゆかしき)で、内部は、北倉ほくそう中倉ちゅうそう南倉なんそうの3つに分かれています。北倉と南倉は三角の木を組んだ校倉造あぜくらづくり、中倉は板で(かべ)をつくる板倉造(いたくらづく)りです。聖武天皇ゆかりの品は北倉、それ以外の東大寺にかかわる文物などは中倉、南倉におさめられていました。


 こうして1200年余り前の宝物が、土に()もれず、建物内で大切に守られているのは世界的にも珍しいことです。天皇の(ゆる)しがないととびらを開けられなかったことも大きな理由ですが、ヒノキを組んだ高床式の建物や、宝物をおさめた唐櫃(からびつ)と呼ばれる箱が、湿度など環境の変化をやわらげる効果を持っていました。現在、宝物は昭和時代にそばに建てられたコンクリート製の東宝庫(ほうこ)と西宝庫に移されて保管されています。

正倉内部の図解

正倉院年表

701

文武(もんむ)天皇と藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘、宮子(みやこ)の間に、のちの聖武天皇が誕生

710

藤原京(ふじわらきょう)(奈良県橿原市)から平城京(へいじょうきょう)(奈良市)に都が移る

724

聖武天皇が即位(そくい)

740

恭仁京(くにきょう)(京都府木津川市)に都が移る

741

国分寺(こくぶんじ)国分尼寺(こくぶんにじ)建立(こんりゅう)(みことのり)

742

紫香楽(しがらきのみや)宮(滋賀県甲賀市)を造る

743

大仏造立(ぞうりゅう)の詔

744

都が難波宮(なにわのみや)(大阪市)、紫香楽宮に移る

745

平城京に都が戻る

747

東大寺で大仏の鋳造(ちゅうぞう)が始まる

749

孝謙(こうけん)天皇が即位

752

大仏が完成し、開眼(かいげん)供養(くよう)が行われる

756

聖武太上天皇(だいじょうてんのう)が亡くなり、光明皇太后(こうたいごう)遺愛(いあい)の品々を大仏に献納(けんのう)(正倉院宝物の誕生)

760

光明皇太后が亡くなる

794

都が平安京(へいあんきょう)(京都市)に移る

1180

平氏(へいし)南都(なんと)(奈良)を焼き打ち。大仏も被害を受ける

1603

徳川家康が正倉院正倉(校倉(あぜくら))を修理

1913

正倉を解体修理

1940

紀元(きげん)2600年を記念し、東京帝室(ていしつ)博物館(東京国立博物館)で正倉院展開催

1946

奈良帝室博物館(奈良国立博物館)で第1回正倉院展

1953

正倉院東宝庫が完成

1962

西宝庫が完成

1997

正倉院正倉が国宝(こくほう)に指定される

1998

東大寺、正倉院正倉など「古都奈良の文化財」が世界遺産に登録(とうろく)される

2010

平城遷都(せんと)1300年祭。光明皇后1250年大遠忌(だいおんき)法要

2014

正倉の屋根ふき替えなどの大修理が完了

2019

第71回正倉院展で累計(るいけい)入場者数が1000万人を超える