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正倉院 正倉 |
正倉院の宝物は奈良時代、聖武天皇がなくなり、悲しみにくれていた妻の光明皇后が夫の愛用の品々を東大寺の大仏にささげたことに始まります。その愛用品をはじめ、大仏が完成したときの儀式で使われた道具、当時の役所の文書などを含め、約9000件の品々が、正倉院宝物としていまに伝わっています。その一部を年に1度、奈良国立博物館で公開している展覧会が、正倉院展です。
国宝 東大寺大仏 |
聖武天皇の時代は、災害や疫病が相次ぎ、大きな争いごとも起きていました。天皇がみずから、仏教の力でみんなの不安をなくし、おだやかな日常を取り戻そうと東大寺に建てたのが大仏でした。完成を祝う儀式には、約1万人が参列したそうです。
その4年後、聖武天皇はなくなりました。光明皇后は、夫が大切にしていた宝物を見るたびに、生前を思い出し、悲しんだそうです。そこで、夫の思いが込められた大仏に宝物をおそなえし、めい福を祈ったというわけです。
実は、近年の研究では、正倉院宝物の多くが、日本製ということもわかっています。もちろん外国から持ち帰った文物もありますが、デザインや技術などが日本に伝わり、それを学んだ日本の職人が国内の材料を使って作ったものが少なくないようです。
唐櫃(からびつ) |
建物は正倉院
こうして1200年余り前の宝物が、土に埋もれず、建物内で大切に守られているのは世界的にも珍しいことです。天皇の許しがないととびらを開けられなかったことも大きな理由ですが、ヒノキを組んだ高床式の建物や、宝物をおさめた唐櫃と呼ばれる箱が、湿度など環境の変化をやわらげる効果を持っていました。現在、宝物は昭和時代にそばに建てられたコンクリート製の東宝庫と西宝庫に移されて保管されています。
正倉院年表
701 |
文武天皇と藤原不比等の娘、宮子の間に、のちの聖武天皇が誕生 |
710 |
藤原京(奈良県橿原市)から平城京(奈良市)に都が移る |
724 |
聖武天皇が即位 |
740 |
恭仁京(京都府木津川市)に都が移る |
741 |
国分寺、国分尼寺建立の詔 |
742 |
紫香楽宮(滋賀県甲賀市)を造る |
743 |
大仏造立の詔 |
744 |
都が難波宮(大阪市)、紫香楽宮に移る |
745 |
平城京に都が戻る |
747 |
東大寺で大仏の鋳造が始まる |
749 |
孝謙天皇が即位 |
752 |
大仏が完成し、開眼供養が行われる |
756 |
聖武太上天皇が亡くなり、光明皇太后が遺愛の品々を大仏に献納(正倉院宝物の誕生) |
760 |
光明皇太后が亡くなる |
794 |
都が平安京(京都市)に移る |
1180 |
平氏が南都(奈良)を焼き打ち。大仏も被害を受ける |
1603 |
徳川家康が正倉院正倉(校倉)を修理 |
1913 |
正倉を解体修理 |
1940 |
紀元2600年を記念し、東京帝室博物館(東京国立博物館)で正倉院展開催 |
1946 |
奈良帝室博物館(奈良国立博物館)で第1回正倉院展 |
1953 |
正倉院東宝庫が完成 |
1962 |
西宝庫が完成 |
1997 |
正倉院正倉が国宝に指定される |
1998 |
東大寺、正倉院正倉など「古都奈良の文化財」が世界遺産に登録される |
2010 |
平城遷都1300年祭。光明皇后1250年大遠忌法要 |
2014 |
正倉の屋根ふき替えなどの大修理が完了 |
2019 |
第71回正倉院展で累計入場者数が1000万人を超える |