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人の思いが伝えた1300年の奇跡...西川明彦・正倉院事務所長インタビュー
約1300年にわたり伝えられてきた正倉院宝物。正倉院展を通じて、多くの人を魅了する正倉院宝物ですが、一体何がすごいのでしょうか。そしてどうしてこんなにも長く守られてきたのでしょうか。正倉と宝物を管理する宮内庁正倉院事務所の西川明彦所長に聞きました。
勅封という厳格な管理体制
――正倉院宝物の特長を教えてください
およそ1300年前に東大寺の大仏様にお供えされて今にいたるまで、大切に保存されてきたことが大きいと言えます。保存状態がとてもいい。正倉院宝物よりも古い時代のものは、世界中にごまんとありますが、多くは土の中から発見されています。
一方、正倉院宝物は人が後世に残そうとして、正倉の中に納めて伝えてきました。そのような文化財は世界の中でも稀有(けう)だと思います。それは成立当初から、天皇の許しがなければ倉の扉を開くことができない「勅封」という厳格な管理体制であったことに寄るところが大きいと言えます。
過去に織田信長が宝物の一つ、「蘭奢待(らんじゃたい)」(香木)を切ったという有名な事件があった時も、京都から勅使が鍵を携えてやってきて開けたといわれています。
創建当時のままの正倉
――宝物はどのように守られてきたのでしょうか
天皇、それから東大寺の権威のもとに守られ、さらに建物や容器の機能にも救われ、宝物は1300年もの間、良い状態で伝えられてきました。
正倉は、ヒノキでできた校倉造り。中国の唐の尺度に基づいて作られ、1尺は約30センチメートル。井桁を組んだ校木の1辺は30センチメートル、建物の間口は33メートル、床下は2.7メートルです。一部、江戸時代に補強が行われていますがおおむね創建当時の姿を保っています。
この近辺では、東大寺の大仏殿なども戦火で焼け落ちていますが、この正倉は天災からも人災からも逃れてきました。まさに奇跡で、宝物が守られてきた大きな要因の一つです。そして、宝物は辛櫃(からびつ)というスギの容器に納められていましたが、木が持つ調温・調湿機能が果たした役割も大きかったと言えます。
正倉院展で垣間見られる人の思い
―守り伝えるために、どのような管理がされてきましたか
曝涼(ばくりょう、秋に行われる虫干しで『正倉院曝涼』は秋の季語にもなっている)、それから点検です。秋になると約2か月にわたって正倉を開け、風を通し、人々が宝物に眼を通してチェックすることによって、代々守ってきました。さすがに今は外に宝物を出して風に当てるということはできませんが、約9000点の宝物すべてに目を通して点検するということは、ずっと続けています。
私たちが一番大切にしているのは、まずは肉眼でのチェックです。それから、中の構造や肉眼では見えない細かな部分を確認するために光学的な装置、たとえばX線などの科学的な手法も取り入れています。でもやはり、一番大切なのは人です。科学の進歩は大いに利用しますが、万能ではありません。科学を盲信せず、複数の人の目と手によって確認し、漏れがないように管理しています。
奈良という地は、夏は高温多湿で冬は寒く、1年を通じて温度差と湿度差が大きく変化します。そのような地において、正倉院宝物が長く伝えられてきたというのは、古代から連綿と続いてきた曝涼という人の営みによるものだと思います。
――秋に開かれる正倉院展とは、どのようなものでしょうか
正倉院展は、曝涼・点検の間に皆さんにも宝物をご覧いただく機会として開催されています。9000点のうち、出陳される宝物はほんのわずかしかありません。一方で、わずか距離にして1キロにも満たない博物館へ移動するのもはばかられるような状態の宝物も多くあります。そのような状態であっても、我々は保存し、その先へ伝えていかなければいけません。
今、私たちが宝物を見ることができるのは、古代から守り伝えてきた人々の努力のおかげであるということを、ぜひご来場いただいた方に知っていただき、心の片隅にでもおいていただければありがたく思います。