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2021年11月11日

悠久の至宝(前編)

「第73回正倉院展」に出展されている宝物について、奈良国立博物館の研究員が考察をまじえ、その魅力を前後編に分けてご紹介します。まずは前編です。

往復書簡の例 筆跡堂々

杜家立成(とかりっせい)(1巻 縦26.8~27.2cm、長さ7.06m) 

杜(と)家(か)立(りっ)成(せい).jpg

これは、光明皇后が756年(天平勝宝八歳)6月に東大寺盧舎那仏(るしゃなぶつ)に献納した品の一つで、皇后自身が筆を執って写した「杜家立成」という書物の写本。白色や青色、それに濃淡の赤、茶色を呈する様々な色紙を貼り継いだ豪華な装丁に、堂々とした筆跡が映える。

「杜家立成」は中国唐代に編さんされた書物で、その内容は書状の模範文例集である。物品貸借の連絡や酒宴への誘い、災厄のお見舞い、各種のお祝いなど、旧知の友人等の間で交わされる往復書簡の例が36種収められている。編者は当時文筆の才をもって知られた杜氏の三兄弟の一人、杜正倫(658年没)か。

礼儀が重んじられた古代中国社会では、書状を出す相手との関係、たとえば年上か年下か、関係が近いか遠いか等によって、それぞれにふさわしい書状の形式があった。そのため、模範文例集(書儀という)は各時代に様々なものが作られ、基本的な教養として学ばれていた。「杜家立成」も、そうした書儀の一種であったが、中国には伝本がなく、光明皇后自筆の本品が現存唯一の写本である。

本書がわが国にもたらされた時期は不詳だが、移入されてからは広く受容されたらしく、8世紀半ばには地方諸国にも至っていた。宮城県多賀城市の市川橋遺跡からは、本書の冒頭部分を書いて字の練習をしたとおぼしき木簡が出土している。

奈良国立博物館学芸部資料室長 野尻忠
(2021114日付読売新聞奈良版より掲載)

国際性豊かな意匠表現 

螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)(全長1m、胴径39cm) 

螺(ら)鈿(でん)紫(し)檀(たんの)阮(げん)咸(かん).jpg

バンジョーを思わせる円い胴の四絃(げん)楽器。日本には奈良時代に伝わり、平安時代まで用いられた。阮咸とは聞き慣れない名前だが、これは34世紀頃の中国にいた賢者の名前に由来する。この人物は人里離れた竹林で暮らし、こよなくこの楽器を愛したといい、彼の名がそのまま楽器の名称となった。

正倉院には阮咸が二つ伝わっており、これはそのうちの一つで聖武天皇の遺愛品である。紫檀という南方産の木材を使い、螺鈿とタイマイで美しく装飾されている。螺鈿とは文様の形に切った貝殻片をはめる技法で、この品では南方産のヤコウガイを用いる。タイマイはウミガメの甲羅で、べっ甲と言ったほうが分かりやすいだろう。この作品ではタイマイの黄色い部分が用いられ、はめる場所に絵を描いてからタイマイを貼り、下の絵を見せている。

もっとも見事なのは胴の背面で、宝石をくわえた2羽のインコが旋回するさまを表している。作者や時代を示す銘文は残されていないが、最高級の材料を使い、国際性あふれる意匠を表現した技量は、唐代の一流工芸家の手になることを示していよう。

奈良時代、宮廷の儀式や寺院の法要などで音楽が演奏され、日本の伝統音楽のほか、唐など外国の音楽も演奏された。阮咸は唐の音楽に用いられたもので、単独で演奏されることも、オーケストラを編成する楽器の一つとして用いられることもあった。

奈良国立博物館学芸部特任研究員 内藤栄
(2021115日付読売新聞奈良版より掲載)