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2021年12月14日

<語る・正倉院展>「天平の音色」耳でも楽しむ正倉院宝物

小学3年生から寺社や博物館での取材内容をまとめた新聞を発行し続ける奈良県生駒市の高校生、飯島可琳さんに、展覧会や宝物について語ってもらいました。

東大寺(奈良市)の国宝・盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)が鎮座する大仏殿前では、時折著名なアーティストのコンサートが行われています。752年の「大仏開眼会」では、様々な国から伝わった音楽が奉納されたそうです。

以前、奈良国立博物館の研究員から聞いたことがあります。「仏さまはね、香り、お花、灯り、そして音楽がお好きなんですよ」。 当時小学生だった私には初耳でしたが、正倉院に残された数々の楽器がその証拠なのだなと納得しました。

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東大寺大仏殿前に立つ飯島さん。背後にある奈良時代の国宝・八角燈籠(はっかくとうろう)の火袋には、仏教と音楽の密接な関係を表すように、横笛や笙(しょう)を奏でる音声菩薩(おんじょうぼさつ)4体が浮き彫りされている。

2010年、私が小学1年生で初めて正倉院展を訪れた時に「螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)」が出展されていました。教科書にも出てくるくらい有名な宝物です。名前の通り、「シタンの木材に、ヤコウガイを貼り付ける『螺鈿』の細工を施した5弦の琵琶」です。

展示ケースの周りには来場者が幾重にも列を作り、その意匠に真剣に見入っていました。行列はゆっくりとしか進みませんし、宝物は大人たちの陰に隠れてしまってのぞき見ることもできません。最前列にたどり着くまでの間、スピーカーからは琵琶の音が聞こえていました。

この音源は、終戦後まもない頃、宮内庁楽部が宝物を実際に演奏して録音したものです。調査のために音階を一音ずつ弾いているだけなのですが、音はやや憂いを帯びて聞こえました。

当時の私の日記には、こう書いてあります。

「『らでんしたんの五げん琵琶』は写真で見たことはあるのですが、本物をちょくせつ見るのははじめてです。琵琶は表うらもコハクや海ガメのこうらや貝がらで絵やもようをきれいにはめこんでありました。昔にろく音した琵琶の音が流れていました。思っていたより低音で、暗い感じでした」

この響きは琵琶が本来備えているものなのでしょう。正倉院宝物は、光明皇后が盧舎那仏に捧げた聖武天皇愛蔵の品々です。琵琶の音は、亡くなった聖武天皇を偲ぶ皇后の声であるかのようにも聞こえます。

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2010年の正倉院展に出展された「螺鈿紫檀五絃琵琶」。背面いっぱいに装飾が施されている

琵琶はその外見でも私たちを楽しませてくれます。琵琶の背面、胴の上方に展開する花の文様は、2羽の含綬鳥のすぐ上でいったん途切れており、まるで鳥がベールをおろしたかのようです。鳥の動きを追うようにして視線を動かすと、再び花のモチーフがあらわれます。琵琶の胴の背面に満ちた螺鈿の花は、今にもしずくとなってこぼれ落ちそうです。

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琵琶を象ったものを手元に置いておきたいと思い、飯島さんが奈良博で購入したキーホルダー。当時買ったものは経年劣化で壊れてしまい、現在は「2代目」。

私たちがこの展覧会に足を運ぶのは、正倉院宝物の楽器の姿を一目見ようとするからであって、奏でる音への興味からではないと思います。そのため、楽器が天平人の目を楽しませたという想像は容易にできたとしても、楽器としての側面には思いが至らないものです。 聖武天皇は実際にこの琵琶をどの程度演奏したのでしょうか。手にとって、音を確かめるようにつま弾いたのでしょうか。会場に響く音は、当時の人たちがどのように楽器を奏でていたのかをイメージするきっかけを与えてくれます。

正倉院展は、秋の穏やかさを失いつつある私たちに贈られた一つの「季節」であるように思えます。

※2021年の正倉院展には、弦楽器の「螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)」と「刻彫尺八(こくちょうのしゃくはち)」が出展。両方とも、音声を奈良博で聞くことができた。


■飯島可琳(いいじま・かりん)
2003年、奈良県生まれ。私立奈良学園高校3年生。小学6年生だった2015年度には作文コンクール「わたしたちの正倉院」(主催・奈良国立博物館、読売新聞社、読売テレビ、協力・宮内庁正倉院事務所)で奈良国立博物館賞を受賞した。小学3年生から各寺を取材し、執筆や写真を一人でこなしながら壁新聞「仏女新聞」を作り始め、現在は「相好行相」に改題して発行を続けるほか、全国紙で連載も持つ。中学・高校では室内楽部に所属し、バイオリンを担当した。