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<語る・正倉院展>「良いものを作る」その精神性が宝物を今に伝える(京都美術工芸大学教授・木工芸家 宮本貞治さん)
木工芸の人間国宝で、京都美術工芸大で学生に技と心を伝え続ける宮本貞治さんに、正倉院展や宝物の魅力を語ってもらいました。
今のような道具のない時代に「至宝」を作り上げた不思議
正倉院宝物を見ていると、大した道具もなかっただろう時代に、一体どのようにして作ったのだろうかと考えさせられます。例えば、木目の美しいケヤキ材を使った「赤漆文欟木御厨子(せきしつぶんかんぼくのおんずし)」という厨子があります。くさびで割ることの出来る軟らかい杉やヒノキと違い、硬いケヤキを何で切ったのか。当時のノコギリは見つかっておらず、あったとしても今のような繊細なノコギリはなかっただろうに、どうやって薄い板を作ったのか。自分ならどうするだろうと、興味が尽きません。
一つひとつの宝物を見ていると、当時の職人の技術も高かったのでしょうが、それ以上に、「良いものを作ろう」という精神が強かったように思います。位の高い方のために作るという思いもあったでしょうし、一歩間違えたら自分の命がなくなるくらいの緊張感があったのかもしれません。だからあれだけのものを作れたのではないでしょうか。
用途に合わせ木材を使い分ける知恵と技術
当時の職人は木の習性をよく知っていて、例えば、宝物を入れていた櫃(ひつ)は、ほとんどが杉で作られています。杉は軽いし吸湿性が高い。杉板で吸湿性を調べてみたことがありますが、櫃の大きさに換算すると、一つで大体350ccの缶ビール1本分ぐらい、湿気を吸ったり吐いたりできるんですね。宝物が長く保たれてきたのは、正倉が高床式、校倉造りであること以上に、杉の櫃に入っていたことが大きいと思います。
彩色の美しさに目が行きがちな「碧地金銀絵箱(へきじきんぎんえのはこ)」でも、私が注目するのはヒノキで作られたボディーです。特に薄い床脚の部分。繊維の方向を間違って使うと、薄いところはすぐ折れてしまいますから、木の本来の強度を出せる向きが分かっていたということです。
ただ、装飾に使われている薄い板などは、何か大きなものを作ってできた端材を使ったのではないかなと思うんです。特に紫檀(したん)などの貴重な材の場合、最初から細かく刻むために使うとは思えません。端材や、削りくずのようなものがあって、それを小さな細工に仕立てたのではないでしょうか。当時のことは分かりませんが、自分ならそういう使い方をします。大きな木をわざわざ細かく切るのは、木に対して失礼だと思いますから。
「黒柿両面厨子(くろがきのりょうめんずし)」も好きな宝物です。柿の木は通常、白っぽい木肌をしているのですが、何千本、何万本に1本、たまたま木の内部に縞(しま)や黒い模様が入ることがあり、これを縞柿(しまがき)、黒柿(くろがき)と呼びます。今なら木にドリルで穴を空け、出てきた木屑の色を見て見当を付けられるかもしれません。でも当時は切ってみないと分からなかったでしょう。誰が見つけたんだろうと思いますね。たまたま倒木があったのか。そこで縞を傷と思わず「美」と捉えたところに、当時の人の感性がうかがえます。
手仕事ならではの魅力を感じ取れるように
この仕事に入って50年たちますが、「もうこれでええわ」と思うことはありません。正倉院宝物を見ていると、僕も後世まで残るようなものを作らないといけないと思いますね。後の人に見られて恥ずかしくないようなものをという思いは、人間国宝に認定されることになって一層強まりました。
後継者も育てていかなければなりません。例えば棚を作るにしても、平らな一枚板をポンと乗せるだけでは、両端が少し下がって見えるんです。だからあえて中央を少し薄く削って仕上げることを私はよくします。上と下とを同じように見せるために、上をちょっと薄く削るとか、そういう削り方がある。これは何ミリ削ると決まっているわけではなく、削りながら見て、心地よく水平に見えるように削れるか削れないかなんです。学生には技術よりも、そういう感性を教え伝えたいと思っています。真っ平らに削るだけなら機械でできる。人が手を加えて物をつくるということは、どういうことか。そういうことを考えて作業してほしいなと思っています。
2014年に学生と「檳榔木画箱(びんろうもくがのはこ)」の復元模造品制作に取り組みました。材料は当時と同じものをそろえましたが、制作には現代の機械を使いました。けれど当時の人は全て手作業で、あれだけのものを作っている。時間をかけたこともあるでしょうが、やはり情熱が違うんだと感じました。学生たちも感じ取ってくれたと思います。機械も何もないけれど、槍(やり)がんなか何かで削って、当時の最高の技術で真っすぐな面を目指した削りをしている。そこにものすごく思いが入っているから、今の人が見て、宝物に魅力を感じるのではないでしょうか。
■宮本貞治(みやもと・ていじ)
1953年、京都市生まれ。木工芸家で人間国宝の黒田辰秋氏の長男、乾吉氏に師事し、独立後は滋賀県湖西に工房を構え、創作活動を行う。日本伝統工芸近畿展、日本伝統工芸近畿賞ほか5回受賞、日本伝統工芸展、第50回展記念賞ほか4回受賞、伝統工芸木竹展、文化庁長官賞ほか4回受賞、その他受賞多数。指物(さしもの)と刳物(くりもの)を得意とし、何か月もかけて行う拭漆(ふきうるし)仕上げで木目を美しく浮かび上がらせる技術も高く評価されている。
2012年、京都美術工芸大の開学と同時に同大教授に就任。
2013年、紫綬褒章受章。
2023年、重要無形文化財の保持者(人間国宝)に認定。