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2022年11月28日

【正倉院 モノ語り・コト語り】大仏開眼会

今年のNHK大河ドラマでは鎌倉時代の物語が放送されているが、その登場人物に関連する正倉院宝物がある。

天平勝宝4年(752)4月9日、東大寺盧舎那仏の完成を祝う開眼会の際に巨大な筆と墨を用いて大仏様に瞳が入れられた。筆の端には縹色の縷(る;絹の撚縄)が結び付けられ、聖武天皇はじめ参列者がそれを手にして功徳にあずかった。

その筆と墨が鎌倉時代に再び用いられた。治承4年(1180)、平重衡(たいらのしげひら)によって大仏殿が兵火に焼かれた。俊乗房重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)はすぐに東大寺復興のための寄付を募る「勧進(かんじん)」を行なう。はやくも文治元年(1185)には源頼朝の協力もあり、再び大仏開眼法要が営まれた。その際、後白河法皇が天平の開眼会で用いた筆と墨を手にしている。

天平宝物筆・天平宝物墨1200px.png

左:天平宝物筆  右:天平宝物墨

二度用いられた天平宝物筆と天平宝物墨、ともに儀式用であるため通常サイズの2~3倍ほどある50cmを上回る長大なもので、開眼縷は長さが200mにもおよぶ。筆管には「文治元年八月廿八日 開眼 法皇用之 天平筆」の銘が刻まれ、墨には「開眼法皇用之 天平宝物」と墨書された紙が貼られている。縷は束ねて「開眼縷一條重一斤二両大 天平勝宝四年四月九日」の墨書が記された紙箋が結ばれている。

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開眼縷

正倉院宝物のうち、献物帳所載品の他に大きな一群を占めるのが大仏開眼会をはじめ、東大寺に関係する品である。荘厳具や楽装束、奉納品などにはそのもの自体に墨書が記されており、来歴を知ることができる。

(前・宮内庁正倉院事務所長 西川明彦)


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【正倉院 モノ語り・コト語り】伎楽