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2022年12月19日
【正倉院 モノ語り・コト語り】瑠璃壺(るりのつぼ)
正倉院に伝わる文物は大半が奈良時代のもので、それからすると、本品は平安時代に仲間入りした新参者となる。
深いコバルトブルーのガラス製の「唾壺(だこ)」、つまりは綺麗な"たんつぼ"である。日本ではあまり馴染みのない調度品だが、砂塵が吹きすさぶ大陸においては必需品となる。
かつて、ラスト・エンペラー愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)が正倉院を訪れたことがある。その時、皇帝の宿泊先での様子を目撃した古老が「彼国の側衛らは宿泊しているホテルの廊下でも構わずにペッペと痰を吐きよった」と言っていたことを思い出す。廊下に唾壺を備えておけば掃除の手間が省けたであろう。
さて、くだんの瑠璃壺は治安元年(1021)に平致経(たいらのむねつね)が東大寺に施入したものとされる。実はこの年、同人は東宮史生である安行という人物を殺害した罪で捕らえられている。
瑠璃壺をこの事件と関連付けるものは見当たらないが、東大寺を頼っての施入であったのかもしれない。
平致経は捕縛された際にこの他にも殺人や殺人未遂事件を起こしていることが露呈する。しかし、咎めを受けた様子もなく、その後、長元3年(1030)には懲りもせず、伊勢で乱闘事件を起こしている。
藤原頼通に仕え、『今昔物語集』に天台僧明尊を護衛する話が載るほか、『詞花和歌集』に一首が載るなど、興味深い人物で、いつか小説にできるのではと考えている。
(前・宮内庁正倉院事務所長 西川明彦)
前回のコラム:
【正倉院 モノ語り・コト語り】大仏開眼会