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2023年11月10日

悠久の輝き(前編)

「第75回正倉院展」に出展されている宝物について、奈良国立博物館の研究員が考察をまじえ、その魅力について解説します。まずは前編です。

端切れに聖武天皇の思い

◆九条刺納樹皮色袈裟(くじょうしのうじゅひしょくのけさ)(幅2m53、縦1m47)

聖武天皇が崩御されてから四十九日。天平勝宝8歳(756年)6月21日に光明皇后は聖武天皇ゆかりの宝物を東大寺大仏にささげられた。これが正倉院宝物のはじまりである。この時に作られた宝物リスト「国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)」には六百数十点の宝物名がずらりと並んでいるが、その第一番をご存知だろうか。

 国家を代表する宝物の中でも一番の宝物。さぞ煌(きら)びやかなものに違いないと思うところだが、挙げられているのは端切れを細かく刺し子縫いして作られた袈裟(けさ)、九条刺納樹皮色袈裟なのである。

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天皇の持ち物であることを示す「御」を付け、「御袈裟」と記されていることから、これはお召しになられた袈裟なのだろう。聖武天皇は生前みずからを「沙弥(しゃみ)」(見習い僧)と称されており、歴代天皇のなかではじめて出家をされている。

細かく端切れを綴(つづ)った袈裟は糞掃衣(ふんぞうえ)と呼ばれ、本来は文字通りトイレで使うしか用のないようなボロ切れで作られた袈裟を意味している。これはお釈迦(しゃか)さまが定められた最上の袈裟のあり方で、欲望を捨て去り真理の道に入っていく生き方を示している。正倉院の場合は天皇の着用にふさわしく各色の絹糸で作られ見た目も美しいが、精神としてはあくまでボロ切れの袈裟と言えるだろう。

宮廷を彩った数々の宝物のなかにあって、このボロ切れを意味する袈裟こそが最高の宝物とされていた。そこには仏の教えを篤(あつ)く信奉し、理想の国造りを目指した聖武天皇の御霊(みたま)が宿られているに違いない。

奈良国立博物館主任研究員 三田覚之
(2023年11月3日付読売新聞奈良県版より掲載)

優美な輪郭 花びらのよう

◆犀角杯(さいかくのつき)(長径15.5cm、短径8.4cm、高5cm、重76.8g)

正倉院宝物といえば、碗(わん)や杯(さかづき)といった美しい器を思い浮かべる人も少なくないであろう。今回出展される「犀角杯」も、その一例に数えられる逸品である。

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名称が示すとおり、本品は小口取りした犀の角(つの)の内部を刳(く)り抜いて作られたもの。全体は褐色で、ところどころに白い斑(ふ)が交じる色調が、えも言われぬ美しさを醸し出す。

器の形も特徴的で、口縁が一枚の花びらのような輪郭をなす、なんとも優美なデザインである。その口縁は角(かど)を落として柔らかな質感に仕上げられており、両端の尖(とが)った部分には実際の花びらのような微妙な反りと稜線(りょうせん)が表されている。全体の器形や色調、そして細部に凝らされた繊細な仕事が、この杯の品格ある造形を生んでいる。

犀角は古来、工芸品の素材として珍重される一方、解毒作用をもつと信じられたことから薬用にも使われた。美と実用性を兼ね備えた犀角製の杯は、酒や薬を飲む器として権力者に好まれたという。本品の優れた造形は、相応の地位にある人物の所有であったことを想像させるようだ。

ところで、天平勝宝8歳(756年)、聖武天皇の冥福(めいふく)を祈って光明皇后が大仏に献納した宝物のリスト「国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)」には、二口の犀角杯が見えている。しかしこの二口は、平安時代に正倉から出されて売却されたことが記録から知られ、本品はこれらとは別の品であると考えられている。

では、誰がいつ、正倉院に納めたものなのか。背景は厚いベールに覆われているが、その謎が本品の美しさを一層際立たせているようにも思える。

奈良国立博物館主任研究員 三本周作
(2023年11月4日付読売新聞奈良県版より掲載)

胡人 舞い踊る光景描く

◆楓蘇芳染螺鈿槽琵琶(かえですおうぞめらでんのそうのびわ)(全長97cm、最大幅40.5cm) 

洋梨形の胴部に4本の絃(げん)を張る琵琶は、上端部分が後方へ直角に曲がる姿で、現在まで楽器として存続している。この形式はペルシャ(イラン)起源とされ、中国を経由して奈良時代までには日本に伝えられ、最も一般的な形式となった。

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正倉院の琵琶でもこの形式を取るものが最も多い。背面や側面などに、七色に光る貝殻を埋めて文様を表す螺鈿(らでん)細工で美しく飾られた、いわゆる「螺鈿の琵琶」は、正倉院宝物の代表例としてよく知られる存在といえよう。

本品については、そうした螺鈿細工に加え、撥面(ばちめん)(捍撥〈かんばち〉)部分に描かれた絵画も名品としてよく知られている。この部分には動物の皮革が貼られるが、ここに美しい絵画が描かれている。

本品の撥面に描かれているのは「騎象奏楽図(きぞうそうがくず)」と呼ばれる絵で、薄い皮革の全面にまず白色を塗り、画面の前方には白象の上で楽器を演奏し舞い踊る胡人(こじん)(異国人)を描き、後方に奥行きのある景観を表す。連なって水際へ飛来する鳥の群れの奥では赤い太陽が光を放っている。左右に岩場を配し、奧へと誘導する画面はよく構想されたもので、巧みな筆致でこれを描き出している。

唐の都では、胡人を主題とする造形が流行しており、また、本図の山水描写は盛唐期の様式を示すと見なされる。そのため、伝世品の極めてまれな8世紀唐代絵画の水準を示す作例として、世界的に高く評価される。

奈良国立博物館情報サービス室長 北澤菜月
(2023年11月5日付読売新聞奈良県版より掲載)

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