Articles and Videos動画・コラム
悠久の輝き(後編)
「第75回正倉院展」に出展されている宝物について、奈良国立博物館の研究員が考察をまじえ、その魅力について解説します。今回は後編です。
良弁と道鏡 並ぶ筆跡
◆正倉院古文書正集(しょうそういんこもんじょせいしゅう) 第七巻 (縦28.3~29.5cm)
東大寺初代別当となった良弁(ろうべん)(689~773年)が署名する文書、道鏡(どうきょう)(?~772年)の自筆文書などを9通貼り継いで一巻としたもの。
良弁は東大寺の前身寺院・金鍾寺(こんしゅじ)において華厳教学(けごんきょうがく)を学んだ僧侶で、聖武天皇の東大寺建立、盧舎那仏(るしゃなぶつ)(大仏)造立に際し、「華厳経」の思想を説いて大きな影響を与えたと考えられており、初代の東大寺別当(寺を統括する役職)に任ぜられた。今年は良弁の没後1250年の遠忌(おんき)にあたる。
写真の文書は、東大寺の造営や管理を行う役所である造東大寺司に対し、経巻を借用したいという良弁の申請で、署名の「良弁」のみが自筆である。
道鏡は孝謙上皇が病の際に看病を行ったことで信頼を得て重用された僧侶で、上皇が称徳天皇として再び即位すると、その仏教政策を推し進める中心人物となった。やがて太上大臣禅師、法王という、史上例のない地位に任じられたが、後に失脚したことはよく知られている。
本巻に収められた文書は、孝謙上皇の命を受け経典の目録を貸し出すよう命じるものや、写経を命じる文書で、いずれも全文を道鏡が自ら書いている。これらの内容から、道鏡が上皇の命を直接受ける立場にあったこと、また個人名で写経所などに命令が出来る立場にあったことなどがわかる。全体に大ぶりな筆跡で、その力強さが目を引く。
奈良時代の仏教界で活躍した2人の筆跡を、ぜひ会場で見比べていただきたい。
奈良国立博物館列品室長 斎木涼子
(2023年11月6日読売新聞奈良県版より掲載)
スッポンの造形 精巧に
◆青斑石鼈合子(せいはんせきのべつごうす)(長15cm、高3.5cm)
正倉院宝物の中には、さまざまな動物が造形化されている。駱駝(らくだ)や象、獅子、孔雀(くじゃく)といった異国情緒あふれるものが思い浮かぶが、今回紹介するのは、正倉院宝物の中でも珍しい鼈(べつ)、すなわちスッポンの立体造形である。
一見すると石の置物みたいだが、このスッポンの腹の部分には、小鉢のような器が収まるようになっており、スッポンは蓋で、これは何かを入れる「ふたもの=合子(ごうす)」なのである。
この宝物の魅力は、まず動物彫刻として、とてもリアルだということだ。琥珀(こはく)を埋め込んだつぶらな目、細く突き出た吻(ふん)、柔らかみのある甲羅の表現、爪の生えた足、どの部分をとっても表現はリアルそのもので、1300年近く前に彫られた古さを全く感じさせない生々しさがある。
しかし、この合子は、なぜ、スッポンの形をしているのだろうか。その謎の手がかりになるのは、甲羅に刻まれた裏返しの北斗七星だ。平安時代の「政事要略」という書物に「淮南王七神仙散方」という仙人になるための薬が紹介され、七つの原料を北斗七星になぞらえて図解している。また、原料の一つにカメやスッポンに似た形のものが必要だともいう。ここから、この合子が、仙人になる秘薬を隠し入れる容器ではないかという説が出されている。
だが、なぜカメでなく、スッポンなのか? この問いに対する明確な答えはないが、「滋養強壮」「食らい付いたら離れない」といったスッポンのイメージが、何か特殊なものを入れる容器にふさわしいとされたのではないだろうか。
奈良国立博物館美術室長 岩井共二
(2023年11月7日読売新聞奈良県版より掲載)