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悠久の輝き(後編)
「第76回正倉院展」に出展されている宝物について、奈良国立博物館の研究員が考察をまじえて、その魅力について解説します。今回は後編です。
華麗な装飾 実用を超越
◆玳瑁八角杖(たいまいはっかくのつえ)(長さ135.5cm、横木長34.5cm)
今年の正倉院展で一際(ひときわ)目を引く宝物の一つに、「玳瑁八角杖」がある。その名称のとおり、「杖」の宝物だ。
長い縦木と、少し弓なりに反った横木を「T」字に組んで作られており、その形自体は、今日のステッキを見慣れた目にも、さほど違和感はない。ただ、その長さ135センチ。現代人の身長でも、地面をついて歩くには少々長過ぎる。また、一見してわかるように、きらびやかな装飾をこらしたゴージャスな杖だ。
この装飾は「玳瑁貼(たいまいば)り」とよばれ、斑(まだら)模様が入ったウミガメの甲羅を杖の表面に貼ったものだ。金や緑の地色を施した上から半透明の甲羅を貼ることで、独特の美しさを醸し出している。要所には象牙もはめ込まれ、杖の造形にアクセントを加えている。
そのデザインの秀逸さには目を見張るばかりだ。実用を超越した造形が、この杖の最大の魅力を生んでいる。
では、「玳瑁八角杖」はどのように使われたのか。このことを考えるヒントが、「日本書紀」や「続日本紀」に見える。
例えば天武天皇5年(676年)、高市皇子(たけちのみこ)らが、その功績に対して天皇から杖などを授かった(日本書紀)。また、天平13年(741年)には、巨勢朝臣奈氐麻呂(こせのあそんなでまろ)という人が、やはり杖を下賜されている。とくに奈氐麻呂の例は、金や象牙で飾った華麗な杖が授けられている(続日本紀)。
「玳瑁八角杖」も、こうした臣下の功績をたたえる下賜品だったのではないだろうか。杖が権威や超人的な力のシンボルになることは、洋の東西を問わず、古来見られることだ。
奈良国立博物館主任研究員 三本周作
(2024年11月5日付 読売新聞奈良県版より掲載)
窃盗事件被害届 詳しく
◆正倉院古文書正集(しょうそういんこもんじょせいしゅう)第四巻のうち 安拝常麻呂解(あへのつねまろげ)
法務省が毎年発行する犯罪白書によると、日本における刑法犯の認知件数のうち、全体の7割近くを窃盗が占めるという。私たちがニュース等で目にするのは、そのごく一部であることからも想像がつく通り、頻度の高い事件は歴史資料にも残りにくい。1300年も前の奈良時代ともなればなおさらだ。
今回の正倉院展には、奈良時代の古文書のなかでもひときわ珍しい、窃盗事件の被害届が出展される。事件の発生は天平7年(735年)8月28日夜、被害者は平城京の左京に住む下級役人の安拝常麻呂(あへのつねまろ)。役人の正装などの衣類を中心に、13種の家財が自宅から盗まれた。常麻呂が酒を温めるのに使っていたらしい食器や、仕事に必要な弓も盗難に遭い、その形状や傷の位置などの特徴が被害届に記されている。
この被害届は、左京の行政をつかさどる左京職に提出されているが、警察組織による犯罪捜査資料として残されたものではない。というのも奈良時代には、盗まれた私物は紛失と同様の扱いを受け、基本的に自力で捜索しなければならなかったからだ。
平城京において、盗難品が見つかる可能性がある場所と言えば、左京と右京にそれぞれ置かれた公営の市場、東市と西市だったようだ。常麻呂の被害届は左京職に提出されたのち、東市を管理する役所である東市司に転送されている。
ところでこの被害届の日付は、不思議なことに盗難の発生直後ではなく、事件から3か月以上もたった閏(うるう)11月5日となっている。もしかすると、このとき盗難品が東市で発見され、本来の持ち主が常麻呂であることを証明するために、この被害届が再提出されたのかもしれない。
奈良国立博物館研究員 樋笠逸人
(2024年11月7日付 読売新聞奈良県版より掲載)