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悠久の輝き(後編)
「第77回正倉院展」に出展されている宝物について、奈良国立博物館の研究員が考察をまじえて、その魅力について解説します。今回は後編です。
生命の豊穣な力 文様に
◆花氈(かせん)(長さ272cm、幅139cm)
めまいがするほどの圧倒的な色彩と文様の複雑さ。正倉院に伝来する花氈(かせん)の中でも本作は傑作として名高い。
花氈とは各色に染めた羊毛で作ったフェルトのことで、その製作技術は中央アジアの遊牧民に由来する。それが唐時代の宮廷生活に取り入れられることで、華麗な唐花文の花氈が作られるようになった。正倉院の花氈についても、羊毛が中央アジアまたは中国産に類似するという調査結果があり、輸入品であったことが分かる。奈良時代においては宮廷はもとより、僧侶の座具としても用いられたと考えられる。
本作に表された二つの大きな花文様を見てみると、単独の花ではなく、咲き乱れるいくつもの花がかたまりをなしていることが分かる。こうした文様は団花文(だんかもん)とも呼ばれ、特に本作のような肉感的で複雑な表現は盛唐時代の様式に属する。写実を離れた空想的な花の表現は生命の豊穣(ほうじょう)な力を示すものだろう。
わが国の天平美術が唐の美術に学んだことはよく知られているが、やはりその表現は日本の気候風土にあわせた穏やかな表現に変化している。本作の過剰とも言える文様表現は、天平文化が必ずしも消化しきれなかった爛熟(らんじゅく)した唐代文化の強い原色の世界を示している。
奈良国立博物館主任研究員 三田覚之
(2025年11月4日付 読売新聞奈良県版掲載)
東西の高度な技と気品
◆瑠璃坏(るりのつき)(口径8.6cm、高さ11.2cm、重さ262.5g)
今年の正倉院展のハイライト。ワイングラスを思わせる紺色のガラス杯である。コバルトによる発色は実に美しく、多数の円環をまとい、銀の台脚によって支えられた姿には気品さえ感じられる。

その技術水準は極めて高く、復元製作に取り組んだガラス研究の大家、由水常雄氏は、円環貼付の難しさに苦心したという(「正倉院ガラスは何を語るか」中央公論新社)。
今年、この模造を手がけた奈良ガラス工房を訪ねたところ、円環を先に作って板の上に並べておき、球形に膨らませた熱いガラス本体をその上で転がしながら貼り付ける方法をとっていた。ガラスの温度や転がすタイミング、その角度などには微妙な難しさがある。古代の工人もさぞや苦労したことであろう。
ガラス部分の産地は西アジアないしその周辺地と推測されている。まだ同種の破片は見つかっておらず、およそシルクロードの西方彼方(かなた)と言うしかない。
一方、銀製の台脚には龍のような文様が刻まれており、東アジアで取り付けられたことが分かる。シルクロードの西と東の技術が融合した、まさにハイブリッド古代ガラス器である。
高度な技術と美しさ、そしてロマンあふれる背景を備えた、世界に冠たる名器と言えよう。
奈良国立博物館学芸部長 吉澤悟
(2025年11月5日付 読売新聞奈良県版掲載)